top of page
乙原李成/Otohara Risei

日柳彦九郎と山口高等商業学校(2023/6/17)

日柳彦九郎(くさなぎ ひこくろう 1883生)は香川県生まれ。

親戚に幕末の志士、日柳燕石がいる。

明治40(1907)年12月京都帝国大学法科大学を卒業。

南満洲鉄道株式会社東亜経済調査局設立の早い時期から所属しており、当時の雑誌記事には、松岡均平、チース、グリュンフェルド、バウムフェルド、岡本芳二郎、市川代治とともに名をつらねている。

大正8(1919)年7月から大正10(1921)年8月まで東京医学電気株式会社取締役。

大正10(1921)年6月山口高等商業学校教授に任命され、以後山口市に移り住んだ。

学校内に設置された、東亜経済研究会に所属。

この会は卒業生を専門的に教育する支那貿易科の研究機関として設置。

各種図書、雑誌、新聞を収集整理し、雑誌『東亜経済研究』によって調査結果を公表した。

日柳彦九郎はこの雑誌や同じ学校の『山口商学雑誌』等にいくつも論文を投稿。

大正15(1926)年には、山口高等商業学校開校二十周年を記念した論文集も出版した。

昭和17(1942)年には教授から講師になり、このとき定年を迎えたと推定される。


参考文献

『官報』明治40年12月29日、大正8年9月18日、大正10年11月10日

「東亜経済調査局」『東京商業会議所月報』明治43年11月25日号

「日柳彦九郎外十六名任免並官等陞叙ノ件」(大正11年6月6日)(任B01045100)(国立公文書館デジタルアーカイブ)https://www.digital.archives.go.jp/img/3280348(2023年6月16日閲覧)

『山口高等商業学校開校第二十周年記念講演及論文集』(日柳彦九郎1926年)

『帝国大学出身名鑑』(校友調査会1932年)

『東亜経済研究所一覧』(1939年)

『防長年鑑』(関門日報社)昭和16年版、昭和17年版

木全秀雄『大学めぐり』(同文館1955年)

閲覧数:2回0件のコメント

最新記事

すべて表示

末は博士か大臣か(2024/2/17)

東亜経済調査局関係者で博士号取得者は、松岡均平や大川周明がすでに紹介済なので、大臣(または国会議員)経験者を紹介したい。 波多野鼎(1896-1976)は愛知県出身のマルクス経済学者。 1920年東京帝国大学法学部法律学科(イギリス法選修)卒業。 在学中は東大新人会に参加。...

学歴だけが頼りだった(2023/12/16)

南満洲鉄道株式会社におかれたソビエト・ロシア調査部門を調べていて違和感をいだいたのは、田中九一(1896-1995)という人物だった。 愛知県出身。大正10(1921)年東京帝国大学法学部法律学科(ドイツ法選修)卒業後に満鉄入社、東亜経済調査局配属。...

Commentaires


bottom of page